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この人は心が少年ジャンプなんだ、と言われた。そうだよ。いいじゃん。これからもずっとな!!

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きこりの与作

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きこりの与作

ヘイ、ヘイ、ホー♪ ヘイヘイホ~♫

↑どうですか!!?この芸術性。猪をジャンプで避けるタイミングがシビアでした!!今のワンアクションゲームなんか目にならないゲーム性!!!

iアプリに移植して良いですか!?エポック社様。(実際、高校時代、MSX2ターボR、及びX68000に移植しようかと友だちと企画していました。)

父親の兄貴のうちは、昔からお店をしていたのですが、私が2年生の時、母親がお店の手伝いに週何回か行っていました。

兄貴の奥さんが妊娠をしたからです。なんか、つわりが酷くて店の作業が出来なかったからとかの理由だったとのことです。(大人になってから聞いた話です。)

で、日曜日とかは私と弟をつれて、その店まで一緒に行っていました。店の2階が住居スペースになっており、そこで私と弟と従兄弟(同い年)で遊んで、母親の仕事が終わるのを待っていました。

母親は、今思うと、姑、小姑問題で、うやむやに手伝いを強制的にやらされていいたような気がします。(もっと、近くに父親の妹二人が住んでいたのに、一切手伝いをしていた記憶がないです。ヽ(Д´)ノ)

母親はかなり辛かった気がするのですが、私は週一度、いとこと遊べて、かなり楽しかった記憶しかないのですが。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんも優しかったし。嫁には、いつの時代も厳しいんですね、、、。その母親も、私の奥様には何か厳しいし。。^^;本人曰く、優しく接していると言っていますがね。。

で、私は楽しく従兄弟(それが、また、かわいい女子で...)と、さらにその友だち達と遊んでいたのですが、母親は日曜日に従兄弟の家に強制的に連れてこられて、つらい思いをさせているんじゃないか、と。おとなしく(そんなつもりは、一切皆無)、文句も言わずついてくれて悪いね~と思っていたのでしょうか。

たびたび、店のお菓子とかを黙って横流ししてくれていました。(兄貴もくれていたので、公認だったかも?)

おじいちゃんや、従兄弟と十分満足楽しんでいたので、そんなお菓子とかは不要だったんですが、そんな空気がありました。別に耐えていませんでしたよ~。

で、あるとき手伝い賃が入ったのか、どうか..。母親が「(いつも、つらい思いさせてごめんね。文句言わず弟の面倒もみてくれて悪いね。なので、、)カセットビジョン買ってあげるから楽しみにしててね?」と。

特に、意識も何もしてなかった、初「テレビゲーム」。コマーシャルで存在は知っていましたが、特に欲しいものとも、なんとも思っていいませんでした。(今は母親のその気持ちも分かるし、感謝していますよ!!)

まわりの友だちも持っている人は皆無でしたし。。

で、なんも考えないで日々過ごしていたら、いつの間にかカセットビジョンが我が家に着ていました。。

それもカセットビジョン第1作にして究極の歴史に残るゲーム「きこりの与作」と共に!!!

これ、すごかったですよ。友だちとか、その友だちのお兄ちゃんとかが、噂を聞きつけて「きこりの与作」やりたさに、勝手に家に入って、私の部屋で遊んでましたもん。後日10年くらい後に、その事実を母親から聞いて驚愕しましたもん。家がゲーセンと化しました。私は、なんか、平日は「そろばん塾」やら「お習字塾」やら、くだらない塾があって(それも、最高週、6日あった(´;ω;`) ひどいよ、母さん...。)、ゲームなんかあまりやってませんでした。

友だちとか、その兄ちゃんとかは、「◯◯君(私の名前)が、家に入ってやっていいと、言っていたよ」とか曰わっていたそうです。なんか、当時の私もめんどくさいから、勝手に家に行ってやっててくれ、とか言ったかもしれません。(でも、その代わり、コロコロコミック2冊ちょうだい!とかやっていたかも)

今思えば、ファミコン時代よりも友だちとかの熱狂度が高かったかもしれません。

木こりの与作のカセットは、今も私の自宅クローゼットのどこかに埋れています。(X68000も埋もれています。)

あ。やばい。きこりの与作について書こうと思ったのですが、もう眠くなりました。ごめんなさい。おやすみなさい。

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